2004年 4月 1日(木)
所用で松戸に出向いたが、栗山浄水場の配水塔は常磐線の車窓からおがんだだけであった。帰宅後、先月の30日に撮影した大谷口水道タンクの写真をスキャンする。こんどはトップページの写真を大谷口水道タンクのものにとりかえようと思う。

2004年 4月 2日(金)
トップページの写真を先月30日に撮影した大谷口水道タンクのものにとりかえてアップした。夕刻また大谷口に行き、水道タンクの写真を撮影する。

2004年 4月 4日(日)
トップページの写真を4月2日に撮影した大谷口水道タンクのものにとりかえてアップした。

2004年 4月 5日(月)
池袋にフィルムを買いに行く。夜になってトップページの写真を4月2日に撮影した別の大谷口水道タンクのものにとりかえてアップした。いじりすぎだと思う。

2004年 4月 6日(火)
2000年に登録有形文化財に指定された埼玉県児玉町の児玉町旧配水塔を見に行った。この配水塔は大谷口や野方物件よりは小ぶりだが、ドームの上にまた小ドームがのっかっているというアタシ好みの二重ドーム屋根物件なのだ。1931年に建てられたということなので、大谷口や野方と同世代なのであった。現在は配水塔としては使われていないが、正午を告げるサイレンの台として利用されている。たまたまそばで写真をとっているときにそのサイレンが鳴りだして、その音量にぶっとんだ。自分が昨年来わずらっている感音性難聴がこれでびっくらして治るかとそのときは思ったほどであった。治りはしなかったが。この配水塔には周囲に囲いがないので、べたべたとさわりまくってしまった。うらうらとあたたかく、絶好のタンク日和であった。児玉にはほかに火の見櫓物件や煉瓦積み煙突物件などがあり、バカにしてはいけない田舎町なのである。あの吉田健一さんも“或る田舎町の魅力”というエッセイで絶賛しているではないか。行きは東武東上線の終点寄居まで行き、そこから八高線で児玉、帰りは児玉駅入り口というバス停からアサヒバスという会社の運行する路線バスで本庄駅南口までの7.8キロを激走し(運賃340円)、本庄駅からは高崎線で帰京した。

2004年 4月 7日(水)
3月27日に撮影した松戸の栗山浄水場内の配水塔の写真をアップする。児玉町配水塔の写真の現像ができたので、スキャン作業に入る。

2004年 4月 8日(木)
3月30日と4月2日の両日に撮影した大谷口水道タンクの写真をアップした。花と月まで写っている。今はやりの和モノになってしまった。大いに反省する。

2004年 4月 9日(金)
児玉町配水塔の写真のスキャン作業を続ける。桜の花が写っている。季節だからしょうがないか。今日も大いに反省する。

2004年 4月10日(土)
児玉町配水塔の写真をアップする。児玉物件は、避雷針の形状が美麗でほれぼれする。てっぺんの小ドーム下のサイレン用の赤いスピーカーも実にキュートである。登録有形文化財の名に恥じない物件であった。

2004年 4月16日(金)
好天也。午後、大谷口水道タンクを見に行く。新緑がまぶしかった。

2004年 4月22日(木)
4月6日に撮影した児玉町煙突の写真を編集してアップする。煉瓦積みの煙突で、地方の酒造家によく見られる物件である。ここも酒造家なのかと思って表にまわってみると、酒販店のようであった。

2004年 4月29日(木)
午後、赤羽から池袋駅東口行きの国際興業株式会社のバスに乗った。途中、MSさんの写真でおなじみの桐ヶ丘の給水塔の横を通った。美麗物件である。しかしカメラは持っていなかったので撮影しなかった。帰宅後、トップページの写真を児玉町配水塔のものにとりかえる。彩度を落としてモノクロっぽくしてみた。

2004年 4月30日(金)
昨日までトップページにあった4月2日撮影の大谷口水道タンクお花見モード写真を、大谷口水道タンクの4月2日のページに再アップし、さらに同日の写真をもう1枚追加する。


2004年5月の業務日報

             

業務日報 index  物件センター トップページにもどる