2005年 3月 3日(木)
夕刻大谷口に行ったら、大谷口一丁目の掲示板に“大谷口給水所(仮称)工事説明会のお知らせ”が出ていた。ここにその前半部分を引用する。
 

大谷口給水所(仮称)工事説明会のお知らせ

 日頃から水道事業にご理解とご協力をいただきありがとうございます。
 このたび東京都水道局では板橋区大谷口一丁目4番地において、現在機能を停止している大谷口配水塔に替わり、新たに大谷口給水所(仮称)を整備することとなりました。
 平成16年7月15日の説明会でお話したとおり、完成後は給水所周辺の約12万人の方々の給水をまかなうとともに、震災時には応急給水拠点として周辺地域の皆様方の飲料水を供給する施設となります。
 つきましては、この給水所の築造に先立ち、既設配水塔撤去と水道管の移設工事を行うため下記のとおり説明会を開催いたします。
 ご多忙のところ恐縮ですが、給水所周辺の皆様にこの整備工事についてのご理解とご協力をいただきたく、ご出席くださいますようお願い申し上げます。

1.開催日時  平成17年3月7日(月) 午後7時より

2.開催場所  板橋区大谷口出張所 (2階・洋室)

3.説明内容  「大谷口給水所(仮称)の整備内容」及び「既設配水塔撤去及び送・配水管(1200mm〜600mm)移設工事」の概要説明

ここから先は連絡先の電話番号などが記されているので、引用はさしひかえることとする。帰宅後、トップページの写真を本日撮影の大谷口水道タンクのデジカメ画像にとりかえる。

2005年 3月 4日(金)
未明より雪になり、午後には止む。夕方近くになって水道タンクに行こうと思い立ってカメラを持って歩いていると、日大病院行きのバスがうしろからやってきたので衝動乗りする。バス停で3つほどの距離だが、雪の残った道を歩くよりは楽である。水道タンクのまわりで何枚か写して、大山銀座を抜けて帰る。帰宅後、トップページの写真を本日撮影の大谷口水道タンクのデジカメ画像にとりかえる。昨日アップした写真は一日でボツになってしまった。

2005年 3月 7日(月)
修理に出していたフィルム・スキャナが戻ってきた。“大谷口給水所(仮称)工事説明会”が19時より大谷口出張所にて開催されたようだが、都合がつかず不参。参加した人からBBSに報告があった。多謝。

2005年 3月 8日(火)
午後遅く確定申告書を書き上げて郵便ポストに突っ込んで、その勢いで大谷口に行く。水道タンク北側の公園のあったところの囲いが一部なくなっていた。何枚か写しているうちに日が暮れた。大谷口通いもこれでおしまいにしようと思う。帰途、大山銀座の修文堂書店で雑誌“東京人”の4月号を購入する。特集は“東京 なくなった建築”である。増田彰久氏の写真に見入ってしまった。1982年に解体された東京証券取引所の写真が特に気に入る。円筒形の物件に弱いものと思われる。なお、増田彰久氏の“近代化遺産を歩く”(中公新書 2001年)には、水戸市水道部低区配水塔、駒沢配水塔、清水町配水塔、稲葉地配水塔の写真がおさめられて、いずれも美麗である、なんていうことは蛇足かもしれないが、増田氏のファンなのでつい書いてしまった。

2005年 3月 9日(水)
昨日とりきれなかったフィルムの残りで、富士見町の青塔と白塔を撮影する。アップするかどうかはわからない。

2005年 3月11日(金)
フィルム・スキャナは支障なく動く。トップページの写真を3月8日撮影の大谷口水道タンクのアナログ写真にとりかえる。

2005年 3月13日(日)
1月27日に撮影した鶴見配水池の写真を2枚追加する。1枚は2月の5日から14日までトップページに置いていたもので、もう1枚は新規にスキャンしたものである。

2005年 3月16日(水)
朝の新幹線で京都に行き、夕方まで勉強会みたいなことをやって、四条烏丸のホテルに荷物を置いてからテクテク歩いて磔磔というライヴハウスに行く。土蔵系の天井の高いキモチイイ空間だった。ライヴ終了後、打ち上げに混ぜてもらって、鴨川水系の四条河原町のあたりで、多摩川水系の渡辺勝氏、江戸川水系の神谷一義氏らと未明まで飲む。泥酔してタクシーでホテルに帰る。タクシー代570円也。

2005年 3月17日(木)
9時すぎに起きる。まだ酔っている。苦しい。カバンの中にコンビニのおにぎりとカップみそ汁が入っている。購入した記憶なし。それらを食して歯をみがいて、チェックアウトす。雨が降っている。地下鉄で四条駅から京都駅に移動し、JRに乗り換えて天王寺に行く。阪急で行ったほうがよほど安いのだが、Jスルーカードを使い切りたかったのである。ICOCAを持っているのじゃけん、そんなにはカードはいらんのじゃ。しかしJRでよかった。向日町から長岡京あたりにかけては、美麗物件がいろいろあって、ながめているだけで楽しかった。春雨に煙る watertower は、アタシを夢見心地にさせてくれる。天王寺では帰りの切符などを買い、ICOCAを使って新今宮まで行く。ほとんど廃墟と化したフェスティバルゲートを抜けて、新世界に入る。店内にレゲエの流れる串やという串カツ屋でビールがぶがぶやった。夕刻ののぞみで帰京す。途中、向日市の上植野浄水場の写真などを連写す。

2005年 3月19日(土)
17日に高速連続撮影モードで撮影した上植野浄水場の写真をトップページに置く。また、以前からの懸案であったリンクのページを設け、高架水槽コレクションさんにリンクを貼らせていただく。

2005年 3月23日(水)
先月9日に撮影した大谷口水道タンクの写真のスキャン作業に入る。

2005年 3月25日(金)
先月9日に撮影した大谷口水道タンクの写真の残りをスキャンして、さらに今月9日に撮影した板橋区富士見町の青白物件の写真をスキャンした。

2005年 3月26日(土)
トップページに置いてあった京都府向日市の上植野浄水場の給水塔の写真を、物件センターの WATERTOWERS のほうに移す。トップページには今月9日に撮影した板橋区富士見町の都営アパートの給水塔の写真を置く。富士見町には青塔と白塔とがあるが、トップページに置いたのは白塔のほうである。また、先月9日に撮影した大谷口水道タンクの写真を5枚追加アップした。今月8日付の業務日報に、“大谷口通いもこれでおしまいにしようと思う”と書いたが、前言をひるがえして、午後になって大谷口に行ってみた。かつて東京都水道局の職員住宅があったあたりに、大成・明治土木建設共同企業体の現場事務所の建物がつくられていて、現地では現場らしい雰囲気が盛り上がりをみせている。大谷口一丁目の掲示板に貼り出されていた“大谷口給水所(仮称)工事着手のお知らせ”によれば、3月22日からはじまった最初の作業は、“場内の整備及び仮囲いと防音壁の設置工事”なのだそうである。







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水道タンクの周囲の樹木はまだ残されている。桜の開花前に伐採するのは情において忍びないということだろうか。

2005年 3月29日(火)
3月3日に撮影した大谷口水道タンクの写真のスキャン作業に入る。

2005年 3月31日(木)
3月3日に撮影した大谷口水道タンクの写真の残りをスキャンして、その中から2枚アップする。


2005年4月の業務日報

             
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